開陽丸の歴史を後世に正しく伝えたいと願って開設した子孫のホームページです。

We are welcome to visit our Webpage with many thanks. You are 14,811th visitor since the March 16th of the year 2008.

2010年は、万延元年遣米使節150周年です
トピックス
▼7月29日11時半:復元函館奉行所オープン/翌30日13時半から記念講演会・フォーラム
▼大阪青山歴史文学博物館 秋季特別展を紹介<開陽丸図公開>
▼東京開陽丸史跡めぐりツアーを企画します。
フォールリヒターとは、オランダ語で夜明け前という意味です。
元治元年10月20日(1864年11月19日)、オランダのドルトレヒトのヒップス造船所で建造されていた開陽丸の命名式の際、幕末オランダ留学生の内田恒次郎が「開陽丸」と書きしたためた長さ一尺ほどの板を、同じく留学生で船大工の上田寅吉が船首に打ち付けたとされています。そして内田から、開陽とは夜明け前という意味であることが説明され、参加者から賞賛の歓声を浴びました。
翌月行なわれた造船関係者慰労会で、オランダの職工達が合唱した開陽丸を讃える歌の歌詞の中には、”Wij bouwen voor Japan het Schip De Voorlichter genoemd.(我らは日本の為にフォールリヒターと名付けられた船を造った。)”という一節がありました。
船の名前を開陽丸に決めたのが誰であったのかは分かっていません。しかし、幕末に開国を行なった幕府が、この船が西洋の技術と文明を日本にもたらし、徳川幕府に新たな陽を射すことを願っていたのは間違いないでしょう。
その言葉の美しさと意味の深さ、そしてその船の名前に込められた人々の願いに敬意の気持ちを込めて開陽丸子孫の会会誌のタイトルが「フォールリヒター」と定められました。このWebpageも同じにしました。